等々
近年、パソコンやスマートフォンの普及により、様々な業種でお客様よりインターネット検索やメールでのお問い合わせが増えております。しかしながら、ホームページがないお店様や、ホームページはあるけれど更新されていないお店様も少なからずあるのが現状です。
理由は様々ですが、広告宣伝費の問題、ホームページを扱う人材がいない、手が回らない等が多いように思われます。
また、新規のお客様を増やすことに力を注いでいるけれど、リピーターを増やすことにはあまり力を注いでいない。というお店様もいらっしゃいます。
だからこそ、スタイルクーポン上越では、上越・糸魚川・妙高エリアで、そのお手伝いをさせて頂きます!
「NGT48のにいがったフレンド」は、月曜深夜にテレビ新潟で放送されているNGT48単独初の冠番組だそうです。
ロッチとNGT48の3名(荻野由佳さん、加藤美南さん、高倉萌香さん)が、デビュー曲「青春時計」の衣装で出演されていました。高倉萌香さんは上越市のご出身だそうです。
今回5/22放送分(と前回)は、上越市の高田本町商店街とその周辺を散策していらっしゃいました。
水曜日だったらしく、商店街の休みと重なり、残念ながら閉まっているところが多かった模様です。
そんな中、井出塾さんでの授業体験はすごく笑えましたね^^
小熊写真館さんで家族写真(?)を撮り、七福食堂さんでラーメンを食べられてました。
その後、直江津駅南口に行って、来秋のメンバーにバトンタッチ♪
前回5/15の放送は、大杉屋さん、ほっとステーション五番館さん、ダンススタジオクニールさん、喫茶あじさいさん等へ行ってらっしゃいました♪
高田商店街は、妙高はねうまラインの高田駅下車。徒歩1~2分です。
新潟地区本日放送分は、先週に続き、上越市からスタート。上越市立水族博物館(上越市西本町)に立ち寄り、海沿いを走って、船見公園(上越市中央)→(国道8号線経由)→わすけ(上越市柿崎区)→日本海フィッシャーマンズケープ(柏崎市青海川)へというコースでした。
関東地区では、2月25日(土)放送分。
世界最大の淡水魚ピラルクを「ピラールくん」と聞き間違えてしまったロッチこかどさんでした。。。
(写真はイメージ画像です。)
ちなみに、上越市立水族博物館は、平成30年度に新水族博物館が隣の敷地にできます。現行の水族博物館は5月14日が最終日となり、その後長期休館となります。
それまでは、休館日なしで営業されるようです。
上越市立水族博物館HP→こちら
テレビ新潟で、4月2日(日)6:30より放送された「超ポンコツさまぁ~ず」の「カラオケカーで日本縦断」というコーナーにて、妙高市~上越市が放送されました。
もともとテレビ東京なので、関東地区では、2月18日(土)18:30の放送だったようです。
あいにくの天気でしたが、妙高市池の平にある「いもり池」に行ってきました。
上の写真は、妙高山なのですが、雲で上が見えません><。
その昔、いもりがたくさん生息していたことから、いもり池と呼ばれるようになったとか。
周囲約500mをぐるりと回れます。15分もあれば一周できそうです。
春日山城址付近にかなりのスポットがありました。
春日神社
春日山城址や林泉寺よりも手前にあります。駐車場は数台置ける程度。
ここには、スポットが3つも集まっていました。せっかくなので、お参りもさせて頂きました♪
上越市は、新潟県南西部(上越地方)に位置します。かつての越後国の中で最も京(現在の京都)に近く、この周辺を上越後(かみえちご)と呼ばれていたため、用いられるようになりました。新潟県内では、第3位の人口を擁します。
2015年(平成27年)には、県内2本目となる新幹線「北陸新幹線」が開業し、市内に上越妙高駅が誕生しました。(上越新幹線は、、上州(現在の群馬県)と越後(現在の新潟県本土)を結ぶことに由来し、上越地方とは由来が異なるため、上越新幹線は上越市には通っていませんので、ご注意ください。)
妙高市は、新潟県の南西部に位置し、上越市、糸魚川市、長野県の飯山市、長野市、北安曇郡小谷村、上水内郡信濃町に接し、平成17年に新井市が妙高高原町と妙高村を編入して誕生しました。国内有数の豪雪地帯で、特別豪雪地帯に指定されています。
日本百名山の秀峰妙高山をはじめ、火打山、斑尾山などの裾野は広大な妙高山麓の高原丘陵地帯を形成し、北東部には高田平野が広がり海へと続いています。
糸魚川市は、新潟県最西端で、糸魚川静岡構造線(フォッサマグナの西端)が通り、日本の東西の境界線上に位置します。世界的にも珍しい翡翠(ヒスイ)の産地であり、景勝地親不知でも知られます。
2005年(平成17年)に旧糸魚川市と能生町、青海町が新設合併し、新・糸魚川市となりました。
糸魚川は、江戸時代に北国街道と千国街道(別名:松本街道)の交差点の宿場町として栄えました。特に、千国街道は、戦国時代、遠江の今川と相模の北条の両氏から武田信玄が、経済封鎖をされ塩不足で困窮していたとき、長年敵対関係にあった上杉謙信が武田信玄に塩を送って助けたという話に基づく「塩の道」としても知られています。